アメリカ紀.3
2004年の氷河期
ご存知のとおり
就職活動は困難に困難を極めた
そんな中私の志望する企業TOP5はこちら
1資生堂
2花王
3コーセー
4マンダム
5ノエビア
はいそうなんです。
全て化粧品会社です(しかも大手)
アメリカ紀1でも述べた通り
オゾン層の破壊について
環境白書を20年分調べあげることで
見えてきた環境問題。
紫外線UVB,UVCが与える肌への影響を
男子学生が語りまくる
そりゃ話が周りと合うはずもなく…
男がUVカットクリーム?
って変な目で見られる事も多々
なぜ紫外線に興味が沸いたのか?
についてはアメリカ紀1にて☆
ちなみに…
ノエビアは3次試験までいきました!
その他の化粧品会社の1次試験は
全て教育実習の期間と
まるかぶり
(あちゃー….)
ということで
海外に行きたいなぁなんて思い
実習中に英語の配島先生へ訪ねたんです
「英語を磨きたい?そーだなぁ」
「農業したら?」
私「農業ですか?!」
「そう。実践で身に付くし」
「ペラペラになって帰国すると思うよ?」
「ほら、君は酪農学園大学だし」
分かりました!
ということで
農業ができる英語圏の5カ国がこちら
1.ベルギー
2.オーストラリア
3.ニュージーランド
4.アメリカ
5.カナダ
大学の受付で開口一番
私「農業研修において1番厳しい国はどこですか?」
スタッフ「アメリカです」
なぜ一番厳しい国に行きたかったのか?
というと答えは簡単
「なんとなく過ごした大学生活に嫌気がさして」
よさこいソーラン
というサークルにも所属
野球でも全国大会ベスト8まで進出
(サークルと部活の二刀流)
されど
肝心の授業がおろそかになって
(バイト三昧)
時に授業の出欠を友人に代弁してもらい
自分は居酒屋でアルバイト(当時は時給720円)
勉学に励む事もなく(英語以外は)
高校生の頃にあれだけ
グラウンドで汗水たらして必死になっていた頃と
今、朝9時〜11時頃まで
ゲームに明け暮れ
午後からの授業に
出席する自分を照らし合わせる
鏡を見て
自分が大嫌いだった……
俺なにしてんの?
って自分の右頬へビンタ
ゆるーい生活が暫くつづき
(親から大学の授業料払ってもらってるのに)
何しても中途半端
(ダラダラと一日が過ぎ)
あっという間に一日が過ぎ
馬鹿みたい….。
一旦CM
アメリカで農業をするにはどうしたらいいのか?
ということで紹介してもらったのが
長谷川先生だ
(剣淵高校の元校長先生)
長谷川先生
「おぉお前、アメリカにいきたいってか?」
(実は教育実習の担当で既に面識あったから話が早かった)
「厳しいぞぉ?」
「したって農業経験はあるのか?」
私「全くありません」
「お前大丈夫か??」
「そうか。いま時間はあるのか?」
「IFAA代表の福田という代表に連絡してみるか」
(その場で電話の受話器を持っては電話かける)
トゥルルル
トゥルルルル
長谷川先生「あーどぅも長谷川です」
「カクカクシカジカで」
「え?いま札幌にいるって?」
「おい、村井」
「明日は空いてるか?」
「ちょうど今札幌にいるんだそうだ」
「あーそうですか。
札幌の大通りですね?」
「では明日蕎麦屋に行くように伝えておきますね」
ガチャ
プープープー
長谷川先生
「おまえラッキーだな!!」
「ちょうどアメリカから札幌に来てるなんて」
「凄いタイミングじゃないか!」
長谷川先生はニコニコ笑っていた
先生の動画のリンクです
https://gramha.net/media/2061609929722275186
さて、翌日
わたしはすぐそば屋へチャリンコで直行
カリフォルニア州サンフランシスコから
福田さん(中央)と初対面♩
IFAAのホームページ
http://ifaajp.web.fc2.com/principal2.html
眼光の厳しいまなざしが印象的でした
農業経験が0
やる気だけは無限大
果てしない
が
未経験では流石に…ということで
すぐに100日ほどですが
新篠津村で土と戯れながら
働きました(22歳の頃でした)
その経験をわずかですが積んで
2004年1月25日
就労ビザを持って
(当時はこのビザが取得可能でした)
思いを胸にアメリカの大地へ出発します
(同時に初めての遠距離恋愛がスタート)
これが後々尾を引く事に…
続く