アメリカ紀.4
新篠津村で100日の農作業を経て
最後に日本で英語の学習
そしてアメリカで農業に携わるにあたって合宿が行われる
今は天国へ旅立った林中さんはじめ
OBの人たちに励まされる
というか
脅される(笑)
内容はこうだ
皆一様に
「アメリカでの農業は気候も厳しいけど
タラタラしてたらすぐに激怒するしバンバン働かされる」
※とりわけ我々は学生ですし…
でもさ、アメリカの良い所は
「ネチネチしてない」
昨日の失敗を今日に引きずらない
日本はグダグタいつまでも文句言うだろ?
仕事で厳しく怒っても、オフになると別人のように
優しく接してくれるんだ。
とにかく
「最後まで貫けよ!」
「やりきって帰ってこい」
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ここからようやくはじまるアメリカ紀!!
成田から韓国のソウルを経由してアメリカへ飛んだ
(遠回りだが値段の関係で仕方なかった)
ここで2つ僕は致命的なミスをする
①アメリカのボス(研修先で受け入れてくれる農家の代表)
へ渡す予定だったお土産をソウル空港で紛失
②機内食が食べれなかった
キャビアアテンダントが
僕に何か話しかけてくる
てっきり
Beer?と聞きとり
nnnnNo!!
堂々と
その10分後
次々に食事が用意され配られる
あれ?(汗)
ビールじゃないの…
魚の焦げ臭〜い匂いにわたくし
気づいてしまいまして
さっきの質問って
「Beef or Chiken?」
BeefとBeerを間違えた
Would you like a Beef or Chicken?
って習ったよね?生の英語はやはり聞き取れなかった。
一番窓側の席だったので
遠くて聞きとりにくかったのも原因
しかしだ
隣でモグモグ美味しそうに
…..ありゃ泣けてきたとですよ
僕の英語力なんて
そんなものさ(自暴自棄)
すいませんやっぱり食べたい!!
を
ぐっ
と抑えて(意味が分からん)
※この時点で英語怖い病にかかる
次の食事まで…5時間
アメリカの洗礼は既に
機内からはじまっていた
※2度目の機内食は流石に聞き取れました☆
農業の経験もほとんど無いのに
しかも一人で
異国の地アメリカに
唯一自信のあった英語も
Beer事件で撃沈
不安半分だがしかし期待も半分
そしてこれで安心してはいられないのだ
アメリカの空港へ到着も
中ボスが待ち構えてる
その名は
「イミグレーション」
しかしだ
そこで非常に心強かったアイテムがあったんですね
それが!
「パスポート」
表紙には
「JAPAN」
「日本国」
日本人だというだけで信頼感
(この感覚。外国にいった人は分かるはず)
なんとも言えぬありがたい空気を感じ取った
たまたま?かもしれないが
Immigration center では
日本国籍である事を確認すると?
FIngerprintingがどっちゃらこっちゃら
(あぁ指紋のことね)
What is your Name?
(これは大丈夫!)
What is your occupation?
(学生です!)
Next please!
終わり!?
この2つの質問だけであった
(時には質問攻めに合う事もある)
イミグレーションを通過し
「ほっ」として暫く歩くと
アメリカの父
福田さんが登場する
2005年8月2日の写真です☆
何か腹が立っていたんだろうか?
(ふてくされたような態度で)
Welcome!!
右手を差し出された握手!
の握力がまぁなんといいますか
右手が痺れる程に
ぎゅっっ!
っと力いっぱいに
握ってきたのを今でもはっきりと覚えてる
(それがここでは普通らしい)
季節は
1月下旬
札幌では気温が日中−5℃
夜になると–10℃は当たり前の真冬です
一方で
サンフランシスコの天気はというと?
25度越え
チノパンとTシャツ一枚の出で立ちでも暑い程だった
☆一旦CM☆
空港を後にし
車で移動
(ハンドルが日本と逆だ!)
異国の地にワクワク♩
暫くすると
とんでもない光景が目に映る
なんと、黒人が
黒のダウンジャケットを着てるではないですか
(思わず2度見して)
これにはたまげました。
ここ北海道じゃないですよね?
うそでしょ!?
そこで
福田さんが当たり前のように言い放つ
これだ
1.2.3
「これがアメリカなんです」
(そのまんま東)
暑かろうが寒かろうが
あれは彼にとってのファッション
個性なんだから別にいいじゃないか
アメリカは個性を大事にする文化がある
日本はいちいち人の目を気にしすぎるから
暮らしにくいったらありゃしない
私
「でも真冬に着るアウターじゃありませんか?」
と言いたい思いを
ぐっっと飲み込んで
….
空いた口が塞がらなかった。
30分程してIFAAの事務所に到着
私がこれから働く農地は
「Tassajara Nursery」
園芸農家さんだった
ラッキーなことにサンフランシスコから
車で2時間の場所
僕の希望でもある
「英語が学べる環境」という事に配慮
完全にアメリカ社会にとけ込む事になるよ
緊張してきた..。
事務手続きを終えてわたし
ちょっと
トイレに行ってきます
外に出て左手にあるわよ
(スタッフの渡邉さん)
母親のような優しい方だった
トイレの前にいくと若いカップルが座ってる
(なぜにトイレの前でイチャイチャ…)
横を通り過ぎようとする
と
突然
◯▲□□□◎?
もの凄い早さの英語で何か話しかけてきて
え?!なんて言ったの?
驚いた僕は
とりあえず
こう言った
YES!(笑)
何がイエスだ(笑)
何にイエスだ(笑)
それしかいえないもの(投げやり)
TABUN…
How are you?じゃない?
と思った結果のYES
今思うとあれはこんな英語だったと認識してる
Hey How’s it going?
(これを滑らかに0.5秒で言う)
ヘィハウジットゥゴーイン?
意味 調子はどう?
なんてこった
こんな英語を学校では一度も習わなかった(怒)
何せアメリカに到着した初日に
トイレでカップルに絡まれるから
19年前の事は今でもよく覚えてるであった
写真はIFAA本部の建物
googleから引用
ここからいよいよ
地獄の日々が…
続く