アメリカ紀.1

僕が今思い出してはブログに載せようと思ってる日

それは今から19年前の事です。
2000年4月からはじまった江別での大学生活

私は酪農学園大学で「環境学科」に入学

その4年後アメリカへと渡り農業に従事。i phoneで有名な
スティーブジョブスオラクルのラリエルソンに会います

(本当の話)

まず

なぜ「環境学科」かと言う事について触れさせて下さい

1998年(17歳)

私が高校生で野球部に所属し

ひたすら白球をおいかけていた頃

(大して強いチームでもありません)

実は白内障の自覚症状環境問題を考えるきっかけとなります
1997年当時(今から22年前)

普通の公立高校でごく一般の「野球部」に所属も

1ヶ月に休みは1日あるかないかの練習量でした

(部活動やってれば普通?そうかもしれません!)

今でも思い出すのは

夏休みで夏期講習会にでると練習時間が

自ずと短くなる為、講習会が始まる2時間前にはグラウンドへ

朝7時、ユニフォームに着替えて野幌森林公園を約12キロ走ってました

(ポジションはピッチャー&レフト)

急ぎ教室に戻っては汗だくになった状態でパッと学ランに着替え

朝9時から始まる数学の授業に出席。

午前中で終わる講習会の後は10分以内に昼飯を飲み込むような

早さで食べて猛スピードでグランドへ

タラタラしてると

先輩に目をつけられ

先輩に怒られ、いじめにあう

それが怖かった

はッ!

思い出した(笑)

ときどき「マメチェック」という日があって

血豆が手にできてなければ先輩に囲まれバットで殴られました

(尻にですけどね)

「今日マメチェックあるらしい」

そんな情報が教室内で耳にはいってくると

まさに
この世の終わり

もうね部活行きたくない

どうにかして仮病を使って帰りたい

(もっと練習しなさい)

だから教室にある4つ足の机「ポール」を握って

手で

グルグル
グルグル
グルグル
なんと

血マメができました(笑)

(一応素振りもしてましたが血が出る程は…)

髪型ですか?

坊主でした

長さは3mm(笑)

(平均7mm)

因にお坊さんは1mm

(どうでもいい?)

部活動では当たり前かもしれませんが

当時、上下関係が非常に厳しく

トンボもってグラウンドをならすのは1年生の仕事で

9時集合だったら8時にはスパイクを履いてグラセン

2年生は8:30頃にやってきて(めんどくさそうに)

3年生は9:00ちょっと前にゾロゾロと(オラオラオーラ全開)

練習が終わると3年生が帰って2年生が帰って最後に1年生がやっと帰れる

(まぁまぁまぁ。言いたい事はわかります)笑

さて

高校2年夏の朝

目が覚めると

周りが白く濁ってて

寝ぼけてるのか?

濁っている部分と透明な部分が混在するような見え方

目を擦ってもとれず。

それが何日も何日続くと

だいじょうぶか…。と恐ろしくなり

色々調べた結果、北海道と沖縄の紫外線が本州と比べると
近く強烈だという事がわかり(大げさかもしれませんけど)

白内障のような症状の原因がこの

紫外線なんではないかと思うように

そこから部活にいくときにあるものをもっていきます
テッテレー♫
UVBカットクリーム(どらえもん声)

練習がある度に
志村けんのバカ殿さまの如く

一番強いクリームを塗りまくります(単純)

この時代。

現代と違ってて(20年前ですから)肌にあまり

浸透しないんです。

本当に顔が青白〜くなりました

(体調悪いのかって部員に心配される)
結論を言うと目は手術せずに済みました

http://www.nipponbeer.jp/lineup/shironigori-can/

今夜は白濁(しろにごり)で乾杯といきましょう♩

この失明を恐れるようになった高校2年を境に
「オゾン層の問題」について興味を抱くようになり

大学へ進学。

その後「地球をとりまく環境問題」について学んでいきます

続く